このところ巷では相撲ブームが続いていますね。相撲にあまり興味のない人でも、勝敗をニュースを見ることがあるかもしれません。力士の名前「四股名」がユニークで、そのためになんとなく気になっている力士がいることもあるでしょう。
キラキラネームの四股名が話題になったりもしましたが、実はユニークな四股名というのは明治、大正時代から存在しています。中でも猫好きさんの興味を引きそうなのが明治時代に活躍した力士、「猫又三吉」です。面白いことにこの時代、他にも「猫」がつく四股名の力士がいたのです。
明治時代に大活躍した力士、「猫又三吉」とは
「猫又三吉(ねこまたさんきち)」は明治6年から明治26年まで、大阪相撲で活躍していた力士です。(この時代は今とは違い、大阪相撲と東京相撲とに分かれていました。)体は大きくありませんでしたがいろいろな技を持つ力士で、大関を8場所にわたり努めました。
生まれは1855年(嘉永7年)1月8日、出身は越中国射水郡横田村(現在の富山県高岡市横田)です。本名は江川三吉で、のちに矢島姓になっています。
相撲の世界へは、9代小野川へ入門して始まりました。なんとこのときにの四股名は「子猫三吉」です。力士らしくない、とても可愛らしい四股名ではないですか。
1873年(明治6年)7月の中相撲四段目が初見になります。1874年には番付外で出場、1875年に中相撲に上がりました。
1876年(明治9年)、大阪相撲でちょっとした騒動がありました。このとき大阪相撲を脱走し高越山谷五郎一派に参加したグループがあり、彼もそこに入っています。そしてこのときから、四股名を「猫又三吉」に改名しました。
その後の1878年にあった和解本場所には出場していませんが、翌年、いきなり前頭筆頭に出ます。やがて1883年には小結、1884年に関脇、1886年には31歳で大関昇進を果たします。そして8年(8場所)にわたって大関を努め、1893年(明治26年)に引退しました。
得意技は一本背負い、体は小さいが強かった
猫又三吉は身長164cmと、力士としては体が小さなほうでした。しかし小兵ながら無類の手取り力士(技の巧みな力士のこと)として活躍しました。
彼の得意技は一本背負いだったそうです。自分より大きな力士を一本背負いでバンバン倒していた猫又三吉を想像すると、ワクワクしますね。
この時代は東京相撲と合併相撲をすることもありました。この合併相撲で第15代横綱の初代梅ヶ谷を破ったり、引き分けたりしたこともあります。身長164cmの猫又三吉に対して、初代梅ヶ谷は身長176cm、体重120kg。自分よりひと回り大きな力士を見事に倒したのです。
1889年(明治22年)には、このときまで全勝していた剣山と小錦を相次いて破ります。剣山、小錦共に非常に強い力士として知られていました。
このように猫又三吉は自分より大きな力士も多彩な技で倒し、大関を8場所も努めたのです。
引退後は故郷で旅館を経営していた
1893年(明治26年)、猫又三吉は38歳で引退すると郷里の富山県高岡市に帰ります。そして旅館を経営したそうです。
高岡市の有磯正八幡宮には、猫又三吉の寄進した玉垣(神社の周囲に巡らされている垣)があります。神社の正面入り口の玉垣で「猫又三吉」と名前が刻まれていますから、お近くの方は行かれてみても良いかもしれません。
1909年(明治42年)、54歳で亡くなられました。お子さんはいなかったそうです。
明治時代、「猫」のつく四股名が流行っていた
それにしても、なぜ「猫又三吉」なんてユニークな四股名をつけたのかと不思議になりますよね。
実は明治から大正時代には、四股名に「猫」とつけることがちょっとしたブームだったようなのです。「猫」がつく四股名の力士は、まだまだたくさんいました。
- 虎猫 久吉
- 山猫 正太郎
- 山猫 三毛蔵
- 三毛猫 徳太郎
- 三毛猫 三吉
- 三毛猫 泣太郎
- 招猫 春吉
- 招猫 乙三郎
- 招猫 定吉
- 招猫 米吉
- 小猫 作太郎
- 小猫 常吉
- 小猫 三毛蔵
- 荒猫 伝吉
- 飛猫 弥三郎
- 熊猫 与三郎
- 熊ノ猫 万吉
- 白猫 正太郎
- 黒猫 白吉
- 玉猫 三毛蔵 など
なんだか可愛らしい名前が続いていますね。現代からするととても力士の名前とは思えません。取り組みの前には、いつもこの四股名が呼び上げられていたのです。白猫と黒猫の取り組みなんて、なんだかメルヘンチックではないですか。
実は最近も「猫」のつく四股名の力士がいます。平成23年に引退してしまったのですが、「猫又虎右衛門(ねこまたとらえもん)」という力士がいたのです。この四股名は伊勢ノ海部屋の伝統の四股名で、過去にも同名の力士が何人かいました。
探せば他にも面白い四股名はたくさんあった
力士の四股名は所属する部屋の名前や師匠の名前からとることが多いようですが、探してみると他にも面白い四股名はたくさんありました。
明治、大正時代のユニークな四股名
現代の私たちからすると、「どうして、そんな四股名にしたの?」と思ってしまうものがいろいろとあります。まずは明治、大正時代のユニークな四股名をみてみましょう。
- 自動車 早太郎(じどうしゃ はやたろう)
- 自転車 早吉(じてんしゃ はやきち)
- 電気燈 光之助(でんきとう こうのすけ)
- ステッセル 寅太郎(すてっせる とらたろう)
- 膃肭臍 市作(おっとせい いちさく)
- 鬼の臍 常吉(おにのへそ つねきち)
- 文明 開化(ぶんめい かいか)
- 突撃 進(とつげき すすむ)
- ヒーロー 市松(ひーろー いちまつ) など
自動車や自転車、そして電気燈などはこの時代の最先端だったのでしょう。新しい時代の夜明けを感じさせる、クールなものだったのかもしれません。
文明開化という四股名も、今までにはない西洋の文化が入り始めた明治時代には、エネルギーに満ち溢れた華やかなものだったのかもしれません。
昭和時代のユニークな四股名
昭和の頃のユニークな四股名には次のようなものがあります。
- 青鬼 勝(あおおに まさる)
- 赤鬼 豊(あかおに ゆたか)
- 桃太郎 研二(ももたろう けんじ)
- 麒麟児 和春(きりんじ かずはる)
- い 一(かながしら はじめ)
- 野狐 三二郎(のぎつね さんじろう)
青鬼と青鬼、そして桃太郎は同部屋の力士です。先に青鬼と赤鬼がいましたが、もしも他の部屋から鬼を成敗する桃太郎が出てしまっては大変だということで、同じ部屋の新人力士に桃太郎と名乗らせたそうです。
平成になってからのユニークな四股名
平成になってからの四股名にも、ユニークなものがあります。最近のものですから、聞いたことのあるものも多いでしょう。
- 大魔王 曉志(だいまおう さとし)
- 月ノ輪 熊之助(つきのわ くまのすけ)
- 翔皇騎 昇(しょうこうき のぼる)
- 右肩上 博保(みぎかたあがり ひろやす)
- 宇瑠虎 太郎(うるとら たろう)
- 海波 海波(みなみ みなみ)
もしかすると現在は聞き慣れていてなんとも思っていない四股名であっても、100年くらい経って時代が変わったとき、「平成時代はユニークな四股名が多かった」と言われるようになるかもしれません。
看板猫のいる相撲部屋「荒汐部屋」
さて、猫と相撲といったら忘れてはいけない相撲部屋があるのをご存知でしょうか。それはかわいい看板猫のいる相撲部屋「荒汐部屋」です。中央区日本橋浜町にあります。
大きな体の力士の膝の上で甘える猫ちゃんや、一生懸命に稽古に励んでいる力士たちを見守る猫ちゃんなど、思わず心が和む写真がいろいろと載っています。
ちなみに「モル」とはモンゴル語で猫の意味です。荒汐部屋所属でモンゴル出身の蒼国来が名付けたのだそうです。
毎日の稽古や場所中のさまざまな大変なことも、きっと猫ちゃんが癒してくれているのでしょうね。荒汐部屋には猫ちゃんだけでなく、ワンちゃんもいるそうです。朝稽古の見学(毎日ではありません)もできるようですので、相撲に興味のある方は行かれてみても良いでしょう。
猫と相撲といえばもう一つ、相撲の戦法に「猫騙し」というものがあります。これは立会いと同時に相手力士の目の前で手を叩くというもので、びっくりした相手は思わず目をつぶってしまい、その隙に有利な体勢を作るという奇襲戦法です。
あまりよく使われるものではありませんが、平成以降では舞の海や皇司などが使っていました。確かにこれから真っ向勝負という時に突然目の前で手を叩かれたら、びっくりしてしまいますよね。観客としては見てみたい気もします。
相撲の世界と猫との間には、意外な関係がいろいろとあるようです。