猫が遊びに行ったきり帰ってこない・・・そんなとき、祈願するといなくなった猫が帰ってきてくれるという神社をご存知ですか。このような神社は「猫返し神社」と言われ古くからあります。
特に近年「猫返し神社」として知られているのは、東京都立川市にある「阿豆佐味天神社」の境内社「蚕影神社」です。
愛猫が帰ってこないことを心配した飼い主が祈願をしたところ無事に帰ってきたことで、その名が広まりました。
蚕影神社は「猫返し神社」、祈願すれば猫が帰ってくる
東京都立川市砂川町にある「阿豆佐味天神社(あずさみてんじんじゃ)」は1629年(寛永6年)に創建された、歴史のある神社です。安産・子授けの守り神として崇められている「立川水天宮」も合祀されています。
境内社がいくつかありますが、そのうちの一つ「蚕影神社(こかげじんじゃ)」は「猫返し神社」としても知られています。遊びに出たまま帰ってこない愛猫を心配した飼い主が、この神社の噂を聞いて祈願に訪れることもあります。
ここの絵馬には猫が振り返ったイラストが描かれています。このかわいらしい絵馬に願いを書いたら無事に猫が戻ってきてくれた、といった報告も寄せられているそうです。他にも愛猫の健康や長生きを願って訪れる飼い主さんもいると言います。
蚕の天敵ネズミを退治する猫は、つまり蚕の守り神
蚕影神社は養蚕の神を祀っている神社です。1860年に茨城県つくば市にある蚕影神社の総本宮から勧請されました。
江戸時代の終わり頃から明治・大正・昭和の中頃まで、養蚕業は日本の主要な産業でした。蚕影山信仰というものもあり、茨城県の蚕影神社には養蚕農家が遠くからも参拝に訪れていたそうです。
立川市砂川の辺りも養蚕業が盛んで、養蚕になくてはならない桑の葉の特産地でもありました。そのような関係で、茨城県から蚕影神社が勧請されたのでしょう。
養蚕農家にとって天敵はネズミです。もしもネズミが蚕を食い荒らしたりすると、あっという間に大きな損害が出る大惨事になってしまいます。そのため養蚕農家では、天敵のネズミをやっつける猫は大切な存在でした。
ネズミ退治のために猫を飼うこともありましたが、その頃まだ猫は貴重な動物で今のように簡単には飼えません。ウソのようなホントの話ですが、ネズミ除けのために猫の絵を貼るといったことも行われていたのです。
「蚕」の神社でなぜ「猫」が関係するのかと不思議に思うかもしれませんが、蚕の天敵であるネズミを退治してくれる猫は、お蚕様の守り神でもあるのです。
「猫返し神社」命名者はジャズピアニスト山下洋輔さん
ところでこの神社が「猫返し神社」と呼ばれるようになったのは比較的最近で、実は昭和の終わり頃からのことです。なんとその命名者はジャズ界の巨匠、山下洋輔さんなのです。
山下洋輔さんは日本を代表するジャズピアニストであり、日本のジャズを牽引してきた人でもあります。そして大の猫好きで、自宅では今までに何匹も猫を飼っています。
数日経っても帰ってこないので心配になり、山下さんはいろいろなところを探し回ります。暑い夏の時期の出来事で、猫ちゃんはもういい歳のおじいちゃんでした。しかも前足が少し不自由で、悪いことばかり考えてしまったそうです。
ある日猫を探してあてもなく歩いていると、初めて見る神社の前にいました。猫が帰ってこなくなって既に17日も過ぎていて、どうしようもなかった山下さんは思わずその神社に入り、「猫を返してください」と神様にお願いをしました。
するとなんと次の日の夕方、猫が帰ってきたのです!
白猫だったのですが帰ってきた時にはススだらけ、体重も軽くなってしまっていたそう。どこで何をしていたのかはわかりませんが、それでも神社にお参りをした翌日、18日目にして突然帰ってきてくれたのです。
改めて神社にお礼に行くと、そこは自宅から2キロ近くもあり、意外と離れていたことに気がつきます。その神社が阿豆佐味天神社でした。
その出来事をたまたまその当時書いていた雑誌の企画の中で紹介しました。すると猫好きの読者の間でその話が広まり、少しずつ世間に知られて行ったのです。
その後も山下家では1回目の脱走事件とは別の猫が、3回も脱走してしまいます。しかしその度に1回目はお参りをした3日後に車の下から、2回目はお参りから帰ってくると縁の下から、3回目はお参りから帰ると玄関で発見されました。
「猫返し神社」が神社のご由緒にも
やがて世間一般にも猫返し神社の存在が知られるようになってきます。地元の方が猫の石像を神社に寄贈されたりということもありました。それが境内に置かれた「ただいま猫」で、この猫を優しく撫でてお願い事をすると良い事があると言われます。
さらに絵馬も作られました。絵馬にはこちらを振り向いている猫の絵が描かれていて、これは宮司さんの息子さんが描いたそうです。また招き猫のお守りも作られました。
そしてもともとこの神社にあった養蚕の神を祀るための蚕影神社が、猫のための「猫返し神社」になっていったのです。神社のご由緒にも「猫返し神社と称される」と書かれるようになります。
山下さんの猫はその後も脱走をしましたが、その子も猫返し神社にお参りして無事に見つかります。そんな出来事がいろいろあって、山下さんは神社に感謝をしたいとピアノソロで「越天楽」を演奏して神社に奉納されました。
「越天楽(えてんらく)」とは雅楽の演目で、雅楽の曲の中ではとても有名な曲です。ただピアノソロによる越天楽が聞ける場所はなかなかないでしょう。阿豆佐味天神社の境内では、世界で唯一、山下洋輔さん演奏の越天楽が聞けるのです。
ちなみに境内にはただいま猫と共にカラフルな動物の像もあります。猫返し神社にお参りした後だとつい猫の像だと思ってしまいますが、これは犬の像なのだそうです。
阿豆佐味天神社には立川水天宮も合祀されています。水天宮さまは犬ですから、犬の像も登場したようです。
「阿豆佐味天神社」は長い歴史のある神社
立川市砂川の阿豆佐味天神社は1629年(寛永6年)に創建された神社です。総本宮は東京都西多摩郡瑞穂町にあり、こちらは892年に創建という記録も残るさらに歴史のある神社になります。
江戸時代の初め、砂川では新田開発が行われました。この新田開発にたずさわった人物は、瑞穂町にある阿豆佐味天神社の総本宮を氏神とする一族の後裔でした。そのためこの阿豆佐味天神社を砂川村の鎮守の神として勧請したのです。
本殿は1738年ごろの建築と考えられ、立川市内で最古の木造建築物として「立川市有形文化財」にも指定されています。
御祭神は次の二柱です。
- 少彦名命(すくなひこなのみこと):医薬・健康・知恵の神
- 天児屋根命(あめのこやねのみこと):文学・芸術の神
さらに阿豆佐味天神社には、境内社(神社の境内に本社とは別に祀られている社)が全部で9社あります。「蚕影神社」も境内社の一つです。
- 蚕影神社(養蚕の神、猫返し神社)
- 八雲神社(厄除け)
- 疱瘡社(疫病除け、縁結び)
- 稲荷社(五穀豊穣、招福財福)
- 天神社(学問)
- 御嶽神社(火難盗難除け)
- 浅間神社(縁結び、安産)
- 金刀比羅社(交通安全)
- 八坂大神社(疫病除け)
猫返し以外にも、阿豆佐味天神社にはさまざまなご利益があります。蚕影神社を参拝した際には、他の境内社へもぜひ参拝してみてください。
阿豆佐味天神社へのアクセス
阿豆佐味天神社は東京都立川市にあります。立川駅からはバスで15分くらいかかってしまう場所で、多少不便かもしれません。
東京都立川市砂川町4-1−1
電話:042-536-3215
夏季開門時間:午前6時~午後4時50分(最終入場4時30分)
冬季開門時間:午前7時~午後4時30分(最終入場4時)
「蚕影神社での猫絵馬・猫守り受付時間」
午前10時~12時、午後1時~3時30分
バスを利用:
JR立川駅北口より立川バス1番線「三ツ藤」「箱根ヶ崎駅」行きに乗車、「砂川四番」で下車すぐ(約15分)
車を利用:
五日市街道沿い「砂川四番交番前」の信号の所。
駐車場32台あり(土日祝日は隣の「たましん」への駐車も可能)
蚕影神社で猫絵馬・猫守りがいただける時間は、阿豆佐味天神社の開門時間とは少し違います。猫絵馬に願いを書きたいと思ったときには、少し時間に余裕を持って行くようにしましょう。
「猫返し神社」と言われる神社は他にもある
実は阿豆佐味天神社よりももっと以前から、「猫返し神社」としての歴史がある神社があります。それは東京都中央区にある「三光稲荷神社」です。
戦前まではいなくなった猫の祈祷をいつでもやってくれ、祈祷して無事に帰ってきたら招き猫をお供えするという風習もありました。現在は神主が常にいるわけでないためすぐに祈祷はできませんが、今でも失せ猫の祈祷は行なっています。
可愛がっている猫が何日も帰ってこないとなると、すごく心配になりますよね。いろいろなことを考えてしまうと思いますが、このような猫返し神社へ祈願に行ってみても良いかもしれません。
阿豆佐味天神社の境内社である蚕影神社が「猫返し神社」と言われるようになったのは神社の歴史からすると最近のことですが、祈願をしたら帰ってきたという報告もあります。今、現在進行形で阿豆佐味天神社の伝説が創られているのかもしれません。
阿豆佐味天神社には、ここでしか聞けない山下洋輔さんのピアノソロによる越天楽も流れています。猫好きさんはもちろん、ジャズファンの方も訪れる価値がある神社でしょう。