古代から存在した猫にまつわる法律。世界と日本のさまざまな猫の法律

共存するようになってから一万年近い年月を共に過ごしてきた猫と人間。猫の役割は穀物や書物を、ネズミなどのげっ歯類から守ることにありました。

人間が農耕をはじめ、そして文字という文明を発明し世界中へ伝えていったその陰には、猫達の活躍があったといっても過言ではありません。

時には教えを広め、病気の蔓延を食い止めたこともあるのです。そのような役割があるため、歴史の中では猫に関する様々な法律も作られました。

どんな法律が作られたのか見ていきましょう。

古代エジプトでは猫は神聖な存在

どの時代・どの場所から猫の祖先であるリビアヤマネコとイエネコが、それぞれ別の動物として枝分かれしたのかは定かではありません。

数年前にキプロス島でイエネコと思われる動物の骨が古代の人間の墓地のそばから発掘され、9000年ほど前にはイエネコが誕生していたのではないかという説も立てられるようになりました。

現在記述として残っている最古のイエネコの記録は、古代エジプトの時代に作成されたものです。

古代エジプトは紀元前3100年前から紀元前30年までと約3000年という長い歴史を持つ王朝です。

この王朝が誕生したころにはネズミやヘビなどを駆除するために、すでに猫が家畜化されていたと考えられています。

時代が進むにつれて猫は悪いものや害獣から身を守ってくれる存在として神格化されるようになり、古代エジプトの人々は猫を崇高なものとして扱いました。

猫を殺すと死刑になった

そのため、古代エジプトでは猫を守るための法律が作られたという記録が残っています。

神聖とされた動物は猫だけではありませんでしたが、古代エジプトでは猫を殺すと死刑になったと言われています。

猫を故意的に殺した場合はもちろんですが、事故で命を奪ってしまった時も同様だったようです。

その法律を知らない外国人が猫を殺害したために、エジプト人達にリンチを加えられ殺されたうえ、法律通りそこいらに野ざらしにされたという話も残っています。

古代エジプトを訪れた外国人の記録には、火事が起こった時にエジプト人達が火事が起きている家のまわりを見張り、猫が火事に飛び込まないように見張っていたという内容のものが残っていたようです。

猫が死亡すると喪に服した

また飼い猫が死んでしまったときは、その家の人間は眉毛を剃って喪に服しました。

エジプトといえばミイラが有名ですが、猫もまた人間と同じようにミイラにし死後でも食料に困らないように、ネズミや木の実などと一緒に丁寧に埋葬されました。

猫のミイラは現在でも残っており、その一部は博物館などで展示されています。

猫によりエジプトは降伏した?

そのように猫を大事にする法律まであった古代エジプトですが、それが裏目に出て結果的に王朝が滅ぼされしまいます。

全地域の統一をもくろむペルシア人が、猫を盾に縛り付けてエジプトを攻めたのです。そのためエジプト人達は猫を傷つけることが出来ず、降伏してしまったのでした。

しかしこの戦争の猫の盾の記述の信ぴょう性ははっきりせず、猫を盾に張り付けたのではなく戦いの前線に猫をはじめとする動物達を配置して盾にした、猫あるいは猫の姿をした神の姿を盾に描いたなど諸説があります。

どちらにしても、エジプトの人々が猫をどれだけ大事にしていたのかが伝わってきます。

猫は法律により国の外に持ち出すことも禁止されていました。猫を外国へ輸出禁止にしたのです。

猫も信仰の対象とされた

古代エジプト人にとって猫はまさに神であり、宝のような存在でした。

エジプトでは様々な神を崇拝しており、その神のひとりにバステト神という猫の姿をした女神が信仰されていました。

古代エジプトではいかに猫が神聖なものであったかを伺うことが出来ます。

イギリスではいち早く動物の保護が始まった

キリスト教の社会において、長い間猫は虐げられてきました。魔女狩りの横行した時代では、猫が魔女の手先とされ魔女とされた者と一緒に殺害されたのはよく知られた話でしょう。

現在の私たちから見ればただただ残酷な歴史でしかない魔女狩りの時代以外でも、かつてのヨーロッパでは長い間動物には魂がなく痛みや感情もないので何をしてもよいという考えが浸透していたのも大きな理由なのです。

そのため猫を焼き殺すなどの風習が平然と行われてきたのです。

18世紀以降、動物に対する認識が変わっていく

18世紀になりイギリスの哲学者ジェレミ・ベンサムは「動物の苦痛は人間の苦痛と同じくらい確かで類似したものである」とし、動物にも道徳的な配慮が必要であり保護するべきであると唱え、多くの人々の共感を呼びました。

19世紀に入ると、ペストの原因がドブネズミ(についたノミ)であることが証明され、ネズミを捕るという猫の役割が回復していくようになりました。

そのような動きの中、猫などの動物たちと人間はもともと共通の先祖であったと唱え「種の起源」を執筆したイギリスの生物学者、チャールズ・ダーウィンが登場します。

今では人間が小さな哺乳類から進化していったことは当然の事実として知られていますが、当時は人間の存在を揺るがす説であり大きな反発もありました。

当時は人間は神が作ったものであるというキリスト教的な考えが浸透していましたので、反発は当然であったのかもしれません。

さらにイギリスで動物の神経についての研究が進み、動物にも人間と類似した神経系があり痛みを感じることが証明され、人々の認識の中に動物も人間と同じように保護をしなければならないという意識が浸透していきます。

この時期のヴィクトリア王朝では犬や猫がペットとして可愛がられるようになり、現在のような愛玩動物としての地位を取り戻していったのです。

イギリスはこのような歴史とこれまでの常識とは違う考え方を唱える人々が現れたことで、世界のどの国よりもいち早く現在の動物福祉国家としての法律を確立していったのです。

猫に関する法律の具体例

では具体的にはどんな法律があったのでしょうか。

イギリスの最初の動物保護に関する法律は、1822年にアイルランドの下院議員リチャード・マーチンにより成立した「家畜の残酷で不適当な使用を禁止する法律」です。

イギリスの動物愛護法制度の元祖ともいうべき法律であり、設立者の名前から「マーチン法」と呼ばれています。

イギリスと猫といえば、首相官邸でネズミ捕りという任務につく「首相官邸ネズミ捕獲長」が有名でしょう。

猫ですがれっきとした公務員です。2018年11月現在はラリーというオス猫がこの役についております。

かつて猫を船に乗せることが義務化されていた

イギリスのみならず、古くからネズミ対策として船に猫を同行させるということが行われてきました。

ネズミは船員の食料を食い荒らすだけでなく、木造の船では船の構造部分を食いちぎり、時代が進み電気を使うようになってもケーブルを噛んでしまうのです。

さらにペストなどの菌を媒介するため、船乗りにとっては大変厄介な存在であったのです。

そのため、猫は古代から人間と一緒に船に乗りました。ネズミを取るだけでなく、船員たちの癒しの存在としても一役買っていました。

昔のイギリスの海上保険法では、猫を船に乗せることが法律で義務付けられていました。猫を乗せていなかった貨物船は、ネズミによる被害を防がなかったという理由により、貨物の損害への保険金支払いを認められなかったほどでした。

猫と船の関係は船の用語にも表れている

猫と船の関係は歴史的にみても古く、船の用語には猫の名前がついたものが数多くあります。

「Cat head」

錨を上げ下ろしするために支える支柱です。

錨は重く人間が手で引き上げることはできませんので、この支柱で支えて機械または人力で装置を使い引き上げるのです。

「Catboat」

一本マストの小型のボート。

「Catwalk」

元々は飼い主が取り付けた、高い場所にある猫用の細い足場のことですが、これが転じて高所にある細い通路のことを指すようになりました。

船の場合は甲板などにある細い通路のことを指します。

他にも様々な船の用語に、猫の名前がつけられています。それだけ船と猫との関係が密接であったことを示しています。

生類憐みの令と猫

日本で動物に関する法律といえば5代徳川綱吉による「生類憐みの令」が最も有名ではないでしょうか。

今ではとんでもない悪法としての認識がありますが、その根底には殺生をしてはいけないという仏教の教えがあり、決して将軍の単なる気まぐれな法律ではなかったことがわかります。

生類憐みの令は猫に限ったものではありませんが、この法律により猫を綱につないだり、猫に芸を仕込んだり売買をさせること禁止させました。

それにより、当時はまだ数の少なかった猫が自由になり、その数を増やしていったとも考えられています。

しかし虫1匹殺したからという理由で牢屋に入れられるなど、あまりにも行き過ぎた法律となってしまったため、その後一部を残し生類憐みの令は廃止となります。

明治時代、警視庁が猫を飼うようにと通達した

近代日本においても、かつて猫に関する通達が出されたことがあります。

ヨーロッパで猛威を振るったイメージのあるペストですが、日本でも発生したことがありました。

明治32年、台湾から帰国した日本人が広島でペストを発症し死亡、翌年明治33年には40人のペスト患者が死亡しました。

上記で述べた通り多くの国では船に猫を乗船させることが義務付けられていましたが、それでも目に見えない菌という存在を100%防ぐことは出来ず、横浜などの港町を中心に船乗りを通じてペストが広がっていったのです。

当時はまだ特効薬がなく、4人に1人は死亡すると言われていたため、日本中で大パニックとなったのです。

その騒ぎの中、細菌学者でありペスト菌の発見者の一人である北里柴三郎は、このペストという病気はネズミが媒介するペスト菌が原因であることを突き止めました。

当時、猫はネズミを食べるためペストを保有していると危険視されていましたが、北里柴三郎は猫がペストにほとんど罹患していないことを突き止めたのです。

そして、各家庭で猫を飼いネズミを撲滅させることがペストを根絶させる策であることを提唱しました。

この緊急事態に国が動き出しました。警視庁は猫を家庭で飼うことを推奨し、横浜では猫を飼う家庭には手当金が支給されたほどでした。

このような対策が功を奏して、ヨーロッパのような大流行はせず明治40年の死者646人をピークに、大正15年を最後にペスト感染は収まっていったのです。

日本で大流行しなかったのは、北里柴三郎博士の研究と猫の活躍に他なりません。

猫が人類を陰ながら支えてきた歴史がある

猫は古代から人間と接してきた動物であるため、猫に関する法律が作られてきたのは当然ともいえるでしょう。

猫が不遇であった時代もありますが、現在では猫は愛玩動物として保護すべき存在あり、人間と同等の扱いを受けることも珍しくはなくなりました。

日本は動物愛護という点では先進国の中では後れを取っていますが、猫を家族の一員であるという認識は確実に定着していますし、猫を保護するための動きも活発になっています。

そのような動きから、猫などペットたちを保護するための法律が出来ることは不思議ではありません。

猫の歴史を見ると、その様々な場面で人間を助けてきたことがわかります。

猫がいなければ様々な経典や知識が世界にもたらされることもなかったでしょう。猫がいなければペストの被害がもっと大きくなっていたかもしれません。

猫は陰で人間達を支えてきた、尊い存在といえるのです。

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